神の仕え手・ステップ-10

Apostle’s Step-10

衛教三蔵秘抄について

The lecture of Ei-kyou mitsunokura hisyo


衛教三蔵秘抄は三部構成です。まず教義にあたる『衛教正典』、あなたの自分神話である『国事記』、そしてその自分神話に登場する手天の血統図である『手天系譜』です。


「衛教正典」

※衛教正典は「まえがき」、「手天道の実践」、「衛教の教学理論」、「衛教の神々と方位除け」、「佐取卑文字」、「手天道衛教要諦」、「あとがき」の7部で構成されています。まずここでは「まえがき」をご紹介いたします。

最勝衛叉大明神

手天道衛教・まえがき

 まず、「手天道衛教」とは何か?という要諦からお話しいたします。「手天道」とは、自分自身を宇宙の中心としながらその宇宙全体を神と崇め、自分自身の手天道と自分自身の信仰そのものを最高神としながら手業(てわざ)を実践するアニミズムの事をいいます。そして「衛教」とは、科学と道徳との邂逅の上に立脚しながら人類究極の命題に真摯に取り組む道義的教学のことを指し示しています。つまり分かりやすく言うと、「手天道衛教」は自らの手天道を信仰し、祖先を崇拝し、あなたの手天世界を11の方角から守る宗教なのです。

 根本的に手天道と衛教とは不可分です。単に手天道という場合には、その手天によるアニミズムは道義的教学の上に成り立っていて、また単に衛教という場合にも、その教学には必ず手天道の実践が伴います。つまり、手天道と称する時は、手天道衛教のうちアニミズムの実践について重点を置いているのであって、衛教と称する時は手天道衛教の教学について述べているに過ぎないのです。

 ではなぜ、手天道と衛教は不可分なのでしょうか。手天道とは自我を世界の中心に据えて考える万物崇拝です。自分の世界の中心は自我です。これは逃れられない宿命です。しかし実際には、自我は絶対多数の他者からなる社会の中心的支配者にはなり得ません。自我は自分世界の中心であり自身の人生から逃れられない。しかし社会の中で自己中心的な振る舞いは許されない。当然そこには道義的な教学が不可欠です。ですから手天道側から考えると手天道と衛教とは不可分であることが証明できます。

 それでは衛教にはなぜ手天道の実践が不可欠なのでしょうか。今、この瞬間にも自我は幾多の選択肢の中から最善であると考える手段方法を自己決定します。そしてその連続によって人生は成立しています。その決断の瞬間に複数の選択肢を互いに手天という具体的な偶像を用いて意見し合い脳内会議を行うことは、人生航路を安全に進む羅針盤になると思います。ですから衛教という教学理念には、必ず手天道の実践が必要不可欠なのです。

 本書『手天道衛教』の企図するところは手天道衛教の正統たる指導者としての「神の仕え手」を養成することにあります。手天道衛教の盛衰は正に彼らの動向にかかっています。その教学指導のもとで信仰を希望する人は誰でも手天道衛教の信徒となることができます。

 手天道衛教は複数の宗教の信仰を阻害しません。むしろ積極的に他宗教との相互理解を推進することを奨励しています。ただし、衛教徒は必ず、道徳遵守する存在でなければなりません。それは、未来に生きる人間として、道徳遵守は絶対条件だからです。概して言えば、決して故意に他人には危害を加えないという事です。なお、宇宙全体を神と崇め科学と道徳とを融合させる手天道衛教では来世の存在を認めません。来世とは、遺伝情報がこれから継代してゆく子孫の体内に未来がある事を本能的に希求しているのかも知れませんし、逆に前世とは、遺伝情報が継代してあなたに至ったその軌跡なのかもしれません。この様に手天道衛教は常に最新の科学を反映しながら新しい倫理を追究するのです。そこで、来世を信じない衛教徒である為の心得として以下の信条を本書の冒頭にご紹介いたします。それは、①今、この瞬間を、大切に生きる。②常に、何故なんだろう、どうしてなのだろう、と思う心を持ち続ける。③決して、最後まで諦めない。④決して、他人に危害を加えない。⑤手天道を毎日実践する。5点に要約されるものであり、これこそが手天道衛教の根本精神です。

また、協働社会を構築しているわれわれ人間は、自分一人だけでは生きてはゆけません。そもそも社会の一員であるという事は自分以外の絶対多数である他者に依存しながら生活している事を意味しています。自分の世界の中心は自我であり、あくまでもあなたの人生の主役はあなた自身です。しかし社会の趨勢のさ中に身を置くあなたには、ときおり目に見えない力が働いている様にも感じる事でしょう。そしてその力は時として追い風となり、また時としてそれは逆風にもなるという現実をあなたは知っています。更に加えて神秘の領域を畏敬する心や自身に対する他者からの救済を望む心などが存在していて、それが「神」なる絶対者を信仰する心をあなたの心の中に生み出しているのです。つまり手天道衛教での「神」とは、まず運勢であり、まだ科学的には解明されていない領域でもあり、あなた自身の心の中にある信仰心そのものなのです。

実に人間とははかない存在で、人知の及ばない神的な存在に必ず救いを求めるものです。その事はあなたが「神」と契約を結んだのであると言うことができます。その場合大切なことは、もしも幸運に恵まれたり、願い事が叶った場合には、神との契約が成就したことに感謝して、必ずお礼をするようにしましょう。倫理的に、神の領域に対する感謝として衛教ではそう規定させていただきます。

では、まえがきはここまでにして、次の章から手天道実践と衛教教学について順にお話しいたします。

 


「国事記」の記載例

※「衛国帝紀・中巻」より「中衛帝紀」の抜粋。

角部内氏は、夏城玉虫神将より5代目に那須香統幕という東国県祖がおり、更にそれより4代目の角部内王堂が神官に出世した時に北蓮県の祖父と父とにそれぞれ角部内鷹守と角部内翁という名を賜り帳上に記載した時に確立した。 であるから角部内氏は正式に王堂を初代とする。 第54代皇帝、角部内手斧手天は、その角部内王堂より10代目で平成14年、200244日生まれである。

角部内氏は初代王堂が内大臣、第26代司政官。 二代総軍が第58代司政官。 三代知行だけが内臣、文部大臣。 四代近衛が執柄、第68代司政官。 五代速総が内外政顧問、第71代司政官。 六代長宗が内覧、第84代司政官。 七代武建が内覧、第86代司政官。 八代貞世が顧問、第88代司政官。 九代矢軍が第95代司政官。 十代手斧が第99代司政官と、近衛から手斧まで七代連続して司政官を務めた家系である。

また角部内氏は、四代近衛の娘小鳩が聖賢帝の中宮。 角部内小鳩は妖精中宮と称される。 聖賢皇帝と妖精中宮との間に生まれた御気皇女は、角部内長宗の妻である。 また近衛の二男、鵜迦の娘、角部内代子は教化帝と婚して御統皇后となった。 教化帝の皇太孫である衛統皇帝は武建の娘、角部内可奈と婚し棕櫚皇后となる。 同じく教化帝の孫で衛統皇帝の妹の磯城皇女は武建の嫡子、貞世と婚した。 八代角部内貞世と磯城皇女との間に生まれた長女高倉は学徳帝の皇后となり、二男矢軍の長女、角部内幡豆は開示・神徳皇帝と婚し、千寿皇后となり、その孫が関東武兵実王源である。 角部内手斧は矢軍の長男で、千寿皇后の弟である。 ですから手斧には姉に千寿皇后と弟に軍優部鞆靭がいることになる。 この様に角部内氏は連の家系ではあるけれど皇統を嗣ぐに相応しい家格となっていった。

角部内手斧は平成15年、200328日に11歳で大蔵省御倉職として入閣。 平成15年、20031120日、角部内手斧は21歳の時に伊波勝秀の娘、仁留14歳と成婚した。 平成16年、200488日、角部内手斧に長女、倉が生まれる。

今から遡ること八代貞世の時代、角部内貞世は東国県太守、北蓮県太守は分家の角部内磐城、窓国県太守も分家の軍優部成長、桜陽県太守は家臣の大鷹犀利、総山県太守は同盟者の佐伯光厳、南国県太守は一族の都部内冬郷、海南県太守も同盟者の率不動と十六県中、七箇国を収めている。

九代矢軍の時代に兄醍醐に代わり北蓮県太守になり、後、平等寺忠康の配下として安城県に入り、萌部建巌に次ぐ次席重臣として全国に号令を発する様になる。

忠康とは第52代皇帝、平等寺孝家のことである。 その後、安城幕府と称された労働者の集団は幼い主君、平等寺孝直を支持せず、重臣萌部秀建も角部内氏に臣下の礼をとった。 これにより平成18年、2006123日に角部内手斧は天下統一を達成した。 御齢57歳。 手斧は11歳の大蔵省御倉職以来順に外務省逓信職、外務省外交職、外務大臣、亜相、中務大臣、丞相、亜相兼枢機大臣、再び丞相。ついに2007年(平成19年)31日には国家元首・総統に就任しました。首相は第101代司政官、大鷹光徳。以下はその時の人事です。

 国家元首・総統 角部内手斧

総理大臣、大鷹光徳

枢機大臣、率御慶

中務大臣、事葺高尚

法務大臣、立越竜雲

大蔵大臣、角部内最寄

外務大臣、八挙矜持

厚生大臣、伊波勝宇

経済大臣、佐保路秀竜

労働大臣、佐多武延

文部大臣、軍卿部東密

国防大臣、尾巴晃

国務大臣・神祇官、熊埜御堂明徳

国務大臣・内府官、始祖皇太子

国務大臣・都督官、佐伯光繁

国務大臣・統部、養生府義盛

国務大臣・外務副大臣、小椋報徳

国務大臣・御倉職、軍優部鞆靭

内蔵職、海棠我孫子

評定職、安堵景連

鳳閣職、市川駿将

内豎職、木場義男

吏部職、大鷹倫理

門下職、率金剛

御史職、曽位勝朝

外交職、青柳宝積

対外職、鍋島中道

逓信職、上県謙介

知乗職、古城実

録事職、鵜郷兼家

特務職、天高垣

掃部職、経来部薬研

大膳職、布袋込極重鎮

歳役職、足羽義宣

文化職、軍卿部東護

科技職、八挙光希

訳語職、軍優部一政

幕僚職、南風崎豊

【十六県太守】

2007年(平成19年)31日から

衛国党総裁、大鷹光徳

衛国党副総裁、率御慶

衛国党幹事長、事葺高尚

衛国党幹事長代行、八挙矜持

安都職、大鷹光徳

安城県太守、平等寺直孝

北蓮県太守、養生府義盛

東国県太守、伊波勝宇

窓国県太守、佐多武延

桜陽県太守、立越竜雲

上軍県太守、軍優部鞆靭

京軍県太守、始祖皇太子

豊総県太守、小椋報徳

総山県太守、佐伯光繁

京西県太守、角部内最寄

南国県太守、軍卿部東密

文章県太守、佐保路秀竜

南部県太守、事葺高尚

海南県太守、率御慶

幻国県太守、天高垣

四道県太守、大鷹倫理

 

 

国家元首を経て平成19年、200761日、角部内手斧は第54代皇帝に即位した。首相は第102代司政官、八挙矜持。以下はその時の人事です。・・・


「手天系譜」の記載例



​手天道衛教・自分神話研究会/Hand-fairy method EI-kyou・ Association to the myth of the personal history